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ここでは、[商工だより たかつき]の「北摂産業風土記」に掲載された『北摂の寒天』(梅田裕久 著)の内容を順次ご紹介していきます。


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見直される寒天



高槻の伝統産業



消えゆく伝統


           
 1.見直される寒天 

羊羹・ゼリー・みつ豆などに使用される寒天。寒天を使用した食べ物はときどき食するが、近年は寒天そのものをサラダなどで食べることが見直されている。

 世はグルメ時代。肉に魚とおいしいものを食べることは楽しい。が、グルメの楽しみは高カロリーになり、体内の脂肪率が増え、それがいろいろな病いにつながる。

戦中から戦後しばらくはたんぱく質や脂肪の多い高カロリー食品を取ることは大切だった。が、飽食の今日、健康のためにカロリーを取りすぎないことも重要である。

そんな中で脂肪吸収を防ぐなどの食物繊維の多い寒天は超低カロリー食品として見直さなければならない食品である。

グルメブームと同時に健康食品ブームが併存しているのは時代の必然である。
           
 2.高槻の伝統産業 
 その寒天だが、実は高槻では富田酒に並ぶ歴史を持つ伝統産業である。
そして大阪の中で北摂地域が寒天製造に向いていて広まるが、それは高槻から伝わった。

今から約200年前の1780年代に高槻寒天の祖、宮田半平氏によってもたらされた寒天は、稲刈りで米を収穫した後の冬の副業に持って来いの産物となり、朝晩の冷えこみの厳しい北摂地区で急速に広まった。

寒天には上質の細寒天と品質において少し落ちる角寒天があるが近畿の寒天は細寒天が主である。

角寒天は長野や岐阜が多いが、北摂でも茨木の清水・宿久庄・福井や能勢は角寒天も多く生産した。
         
 3.消えゆく伝統
 上質寒天の多くを作った北摂の寒天だが、昭和40年代に入って急速に衰退していく。

   @ 工業寒天の進出
   A 原料費の高騰、人件費高騰による労働力不足
   B 大都市圏故の住宅開発ラッシュ

などの理由でもはや農閑期の副業ではなくなってしまい、高槻地区の原・塚脇・西之河原で数ヶ所残っていた天然寒天場も1991(平成3)年までにすべて消滅した。

現在では下田部町にある株式会社タニチが田能に工場を持ち、高槻の伝統産業の灯を消してはならぬと頑張っている。

今回潟^ニチの川畑孝彦社長には多大な協力をいただいたが、社長の高槻の伝統を残そうと考える意欲も良くわかった。

伝統は意識して残すものである(裏返して言えば、意識しなければ残らない)。

市や商工会議所の協力のもと、寒天が高槻の伝統であったということがわかるようにしてほしいものである。
以下、次号(9月1日予定)につづく